backstage

合唱音源の新着情報の舞台裏

なぜ『ニンジャスレイヤー』はただの小説ではないのか

f:id:s2terminal:20141123190321j:plain:w240

2016年を象徴する大きな出来事として「ニンジャスレイヤー第3部: 不滅のニンジャソウル」が完結しました。

ニンジャスレイヤーとは「サイバーパンク・ニンジャアクションノベル」いわゆる能力者系のストーリーで、主人公が反則的に強く、『ニンジャ』と呼ばれる超人がはびこるネオサイタマで、強大な悪をバタバタと倒していく痛快な展開が特徴です。

ニンジャスレイヤーは文学作品です。 ですが、他の小説とは決定的に異なる点がひとつあります。それは Twitter上で連載されている という点です。

(ニンジャスレイヤーは後に物理書籍が出版され、マンガやアニメ化もされています。またTwitter連載版がオリジナルというわけでもなく、原典として翻訳前の英語版が存在します。ですが、本稿では日本における展開の起点となるTwitter連載版にフォーカスを当てます)

2016年の振り返りとして、この作品が一体どういう魅力を持っているのか、自分の考えを記します。

ニンジャスレイヤーという作品の特徴

この作品には、普通に読むだけでは拾い切るのが困難なほど膨大な登場人物や複雑な伏線が貼られていたり、情報工学や神話など無駄に専門性の高い元ネタが含まれています。 過去に本ブログでも指摘しました。

s2terminal.hatenablog.com

また、どれだけシリアスなシーンでもギャグを忘れない、ツッコミどころの多さもあります。 この小説のネタ要素は「ステレオタイプの日本観」を由来にした世界設定に依るものが多く、そういった光景が登場人物にとってはすべて当たり前なのか、劇中にツッコミ役が誰一人としていないのも特徴です。

主人公のピンチに、病み上がりの師匠が決死の覚悟で駆けつけるという熱いシーン。 額に三角の布を当て、死を覚悟した出で立ち...「死んどるがな!」と突っ込まざるを得ません。

さて、ここまでなら"すこし狂った文学作品"で終わってしまいます。

Twitter上で連載されるニンジャスレイヤー

ニンジャスレイヤーは、Twitter上で連載されています。

twitter.com

  • 140文字制限 によって数分に一度更新されるテンポの良さ
  • 実況用の 公式ハッシュタグ の存在
  • リツイート による引用・拡散のしやすさ

上記特徴を持つTwitterと、先程の特徴がマッチします。 複雑な伏線や専門的な設定は"ヘッズ"と呼ばれるファンによって解析され、解説や感想がTwitter実況タグに流れてきます。 ギャグが多い展開になると実況タグがツッコミで盛り上がり、Twitterのトレンドに入ったりします。

みんなで一緒にツッコみながら読む小説が、今まで他にあったでしょうか。私は知りません。

ファンとの交流イベント

ニンジャスレイヤーは公式で二次創作を奨励しており、二次創作用の専用ハッシュタグを切ってイラストコンテストのような事をしていたりします。 他にはTwitterのリプライ機能を使ったインタビューや、人気投票も行っています。 いずれも雑誌の読者コーナーのようなノリですが、これらがTwitter上で作品連載とともに、シームレスに、リアルタイムで行われるのも特徴的です。

特に、これら日常的な告知自体も手が込んでおり、その胡乱なアナウンスが数々の迷言を生み、本編とともに話題になったりします。

また、他にもTwitterの機能を使った特殊な演出として、トレンド入りのエネルギーで戦うニンジャの登場や、複数アカウントによる複数視点での同時連載、投票機能で次の展開を決めるなどする事も稀にあります。

ニンジャスレイヤーは唯一無二の存在なのか

Twitterは小説を投稿するSNSではありません。 ですが様々な要素が組み合わさることで、ニンジャスレイヤーという 文学作品を利用したエンターテイメントTwitter上に実現しています。 これはfacebookInstagram等ほかのSNSでは実現しなかったでしょうし、小説投稿サイトや専用のホームページを作ってもここまで面白くはならなかったと思います。

唯一近いのは「動画の任意箇所にコメントを付けられる」という特徴を持つ ニコニコ動画 だと思います。 ですが文章の投稿に適していないこと、引用性やハッシュタグの存在など、Twitterと比べると小説を投稿するには厳しい点が多いです。

一方で、平日昼間から深夜に及ぶ事もある連載をリアルタイムで追わないと実況の熱気を再現するのが難しいTwitterに対して、ニコニコ動画はいつでも頭から再生することで順番にコメントを流すことができる利点もあります。 (そのためアニメ化には期待していたのですが...)

まとめ

ニンジャスレイヤーとは、小説に「実況」「引用性」など独自の要素を加える事で完成した、新しいエンターテイメントの形だと思っています。

関連記事

s2terminal.hatenablog.com

なぜ『魔法少女まどか☆マギカ』はただのアニメ作品ではないのか

f:id:s2terminal:20161231184342j:plain:w320

今更ながら2011年のアニメ作品「魔法少女まどか☆マギカ」にハマっていて、2ヶ月で8周しました。 (正確にはアニメ版2周、劇場版前後編6周、叛逆2周です)

ちょうどAmazonプライム・ビデオでも配信開始されましたので、2016年の総まとめとして、一体この作品のなにが素晴らしいのか振り返ってみたいと思います。

5年前の作品なので特に気にしませんが、以下ネタバレ注意です。

対象作品

企画

まず本作は企画の段階でかなりクレイジーです。

いったい誰がこの布陣で可愛らしい魔法少女アニメを作ろう等と言い出したのでしょうか。

ファンシーな絵柄に血みどろなシナリオ、グロテスクな演出、切なくメロディックな音楽、決して交わるはずのなかったこれらの要素を新房昭之監督が ダーク・ファンタジー としてまとめ上げた作品が『魔法少女まどか☆マギカ』です。 これだけでも、このアニメ作品が稀有な存在である事が分かります。

脚本担当の虚淵玄氏は公式サイトのスタッフコメント にて「テレビの前の皆さまが暖かく幸せな気持ちで一杯に」などと供述しており、明らかに狙ってやっている事が分かります。

なお「可愛い絵柄で血みどろ魔法少女モノをやろう」というコンセプトが狂気を感じるのみであり、企画としては筋が通っています。 メインキャラクター5人は魔法少女モノらしい特徴的な名前とテーマカラーで頭に入りやすく、魔女やグリーフシードあたりの設定もシンプルで理解しやすいです。

まるで幼児向けアニメかのような文法通りの設定の上で、救いようのないハードな展開が繰り広げられるのが本作です。

血も涙もない殺伐としたシナリオ

本作について最もよく言われているのは 「とりあえず3話まで見ろ」 だと思います。 確かに第3話は衝撃的な内容を含みますが、それはスタートラインに過ぎません。

第1,2話はいわばミスリードパートです。 第3話『もう何も怖くない』の結末からストーリーの風向きがガラリと変わります。

実際、第3話がすごいのではなくて 1,2話が不気味なほど平和なだけ だったという事に気づいた結果、私はこの作品を何周もしていました。 過度に清潔感あふれる学校(実際、刑務所がモデルだそうです)、鹿目家しか描写されない家族関係、異質存在であるキュゥべえの友好的な姿勢など、すべてが第3話以降を引き立てるために作られたハリボテの平和演出なのです。

第3話の 主要人物が首を食いちぎられて死ぬ のも十分にショッキングな展開ですが、ほかのメインキャラクターも人間関係のこじれが積み重なって魔女化して死亡魔女化した仲間を救おうとして相打ち、そして 守るべき瀕死の親友を止むを得ず射殺する など目も当てられない結末が続きます。

この第3話を軸としたスイッチの入り方こそが、本作品の大きな演出のひとつです。

なお、劇場版前後編では第1,2話に相当する部分の大半がカットされており、よく言えばスピーディですが、このミスリードにあたる要素がほとんど欠落しています。 第3話まで待つのがじれったくて離脱するのもやむない作品なので、これは一長一短だと思います。

さやかちゃん

陰惨な展開を繰り広げつつも、最終的には劇中で命を落とした巴マミ佐倉杏子も生存する世界線へと書き換えられ、物語はハッピーエンドを迎えます。 しかし さやかちゃんは死にます

鹿目まどかが起こした奇跡で作った"魔女のいない世界"でも最終的に さやかちゃんは死にます

いや、おかしいでしょ。 なにが「暖かく幸せな気持ちでいっぱいになれる」だよ。人が死んでんねんぞ!

佐倉杏子の「やっと友達になれたのによ...」という言葉でフォローが入るものの、敵対していた佐倉杏子暁美ほむらとの和解はついに描かれることなく物語の幕は閉じてしまいます。 「人との気持ちのすれ違い」が大きなテーマである本作品らしい、最後まで一貫した終わり方です。

全員が生き返ってハッピーエンド!...なんて安っぽいエンディングは無いどころか メインの魔法少女5人が共闘するシーンは全12話通して一度もない という、この絵柄でありながら一切の媚を売らない硬派な姿勢が本作品の特徴です。 それを象徴しているのがさやかちゃんという存在と、その結末なのです。

サウンドトラック

魔法少女まどか☆マギカ」のサウンドトラックはiTunesで配信されていますが、残念ながら後半の一部楽曲が収録されていません。 すべて揃えるにはCDアルバムを入手する必要があります。

また、「劇場版前後編」のサウンドトラックは限定生産のBlu-rayの特典としてしか手に入りません。

f:id:s2terminal:20161231184404j:plain:w240

同じく、「劇場版新編」のサウンドトラックも限定生産Blu-rayの特典です。

f:id:s2terminal:20161231184418j:plain:w240

TVアニメ版も劇場版も良い曲が多いので、すべて入手する他ありません。

さやかちゃんのテーマ

サントラには、俗に「さやかちゃんのテーマ」と呼ばれる美しい曲があります。

  • TVアニメ版
    • Conturbatio
    • Decretum
  • 劇場版前後編
    • Collapse
    • Witch World #2
    • (She is a witch)
  • 劇場版新編
    • (Holly Quintet)
    • (misterioso)

ビブラフォンっぽいゆっくりとしたテンポの『Conturbatio』は、病院での上条恭介との会話シーンで流れるのが印象的です。

実際に彼の腕が治ってバイオリンが引けるようになると、曲にも弦楽パートが追加された『Decretum』というアレンジに変わるという演出があります。 この『Decretum』が物語中盤の各要所、主にさやかちゃんの運命を左右するシーンで使われており、さやかちゃんのテーマとして視聴者の心に刻まれることになったようです。

劇場版さやかちゃんのテーマ

劇場版前後編では『Decretum』のアレンジとして『Collapse』と、さらにボーカルパートの追加された『Witch World #2』という2曲が追加され、彼女の悲劇的な運命を一層彩るようになりました。

さらに、TVアニメ版で『Decretum』が使われていたシーンの中でもとりわけ印象的だった魔女化シーンは『She is a witch』という破滅的な新曲が追加されました。

逆に、最終盤にて鹿目まどか魔法少女の契約をするシーンで『Sis puella magica』が使われていたのが、劇場版では『Decretum』に差し替えられていて、作品全体を象徴する1曲へと立場が上がっています。

劇場版新編 叛逆の物語では『Holly Quintet』および『misterioso』の途中で、本曲のフレーズが使われています。

さやかちゃんのテーマも、本作品を象徴する楽曲だと言えます。

まとめ

さやかちゃんの使い魔になりたい

参考文献

関連記事

s2terminal.hatenablog.com

PHPカンファレンス2016に行ってきた

f:id:s2terminal:20161106233111j:plain:w300

11月3日、 PHPカンファレンス2016 に行ってきました。

phpcon.php.gr.jp

前回行ったときは軽井沢国際合唱フェスティバルと日程が被っていてばたばたした覚えがありますが、今年は最初から最後までゆっくり話を聞くことができました。

発表内容について

発表資料はレバテックさんのブログにまとまっています。

freelance.levtech.jp

聞いてきたセッションは以下の通りです。

特にVOYAGEさんは KAIZEN会 という事例をセッションで発表されており、企業ブースでも実際のGitHub issueを見せていただきました。懇親会でもお話を聞かせていただくことができました。

KAIZEN会について具体的には下記のブログが詳しいです。

techlog.voyagegroup.com

また 懇親会LTは飛び込み可能 なのと、 昼食は会場でお弁当の販売がある のは、来年以降忘れないようにここにメモしておきます。 来年も同じとは限りませんが。

その他

名刺は忘れず持ってきたのですが名刺入れを忘れてしまい、秋葉原に行けば気の利いた名刺入れぐらい売っているだろうと思ったのですが、 全く気の利かないデザイン のモノしか手に入りませんでした。

f:id:s2terminal:20161106232947j:plain:w300

▲仕事で最も使えないタイプの名刺ケース。今回はプライベートで遊びに行っただけであり、ラフな場での名刺交換だけだったので裏返しておけば良いだけでしたが、取引先様との商談の場などでは間違っても出してはいけません。

f:id:s2terminal:20161106233011j:plain:w300

参考までに、秋葉原でついでに手に入れたプログラミング生放送GitHubマグカップ。 こういう気の利いたデザインのグッズが欲しかったのです。

ドンキーコングを作ったギークなプログラマ達の肩書き

f:id:s2terminal:20150424110603j:plain

私はエンジニアなのですが、いつかはもっと格好良い肩書きを名乗ってみたいと思いました。 ギークになれば「シニア・プログラマ」みたいに格好良い肩書きが付くと思います。 しかし世の中のギークにはどういった肩書きがあるのでしょうか。

格好良い作品を作ったギークな人たちは格好良い肩書きを持っているに違いないと思い、スーパードンキーコングシリーズのプログラマの肩書きを調べてみました。

スーパードンキーコング

youtu.be

クレジット 人数
HEAD PROGRAMMER 1人
TECHNICAL PROGRAMMER 1人
ADDITIONAL PROGRAMMING 1人

ヘッド・プログラマテクニカル・プログラマ がいるみたいですが、その間で アディショナル・プログラミング もいて、誰がどういった立ち位置なのかは釈然としません。 当時としては画期的なレベルのグラフィックで衝撃を与えた本作ですが、プログラマは肩書き付きのギーク3人で開発しており、普通のプログラマはいないようです。

なお本作に限らず、レア社のシリーズはプログラマをスタッフロールの最初に配置するようです。

スーパードンキーコング2 ディクシー&ディディー

youtu.be

クレジット 人数
HEAD PROGRAMMER 1人
ASSISTANT HEAD PROGRAMMER 1人
TECHNICAL PROGRAMMER 1人
PROGRAMMER 1人

前作でアディショナル・プログラミングだった方が アシスタント・ヘッド・プログラマ に変わりました。昇進でしょうか。 テクニカル・プログラマは前作から据え置きで、普通のプログラマが追加されました。

前作からあまりプログラム的に変わったところは無さそうに見える作品なのですが、プログラマは3人から4人チームに増えていました。

スーパードンキーコング3 謎のクレミス島

youtu.be

クレジット 人数
HEAD PROGRAMMER 1人
PROGRAMMERS 2人
TECHNICAL PROGRAMMER 1人

ヘッド・プログラマ1人なのは変わらないのですが、前作のアシスタント・ヘッド・プログラマだった方がヘッド・プログラマになっています。 彼はこの3作で出世したようです。 代わりに普通のプログラマがさらに1人増員されました。

スーパーファミコンのシリーズはいずれも3~4人のプログラマのチームで開発されたようです。 それも普通のプログラマのほうが少なく肩書きが付いたプログラマが多いので、ギーク達による少数精鋭のスペシャルチームのような印象を受けます。

ドンキーコング64

youtu.be

クレジット 人数
DEVELOPMENT TEAM 16人

なぜかスタッフが 開発チーム というクレジットでまとめられてしまっており、プログラマもグラフィッカーもコンポーザーも区別がつかなくなってしまっております。 残念ながら、プログラマの格好良い肩書きは見られませんでした。

書くことがないのでひとつ小ネタを。 DEVELOPMENT TEAMにクレジットされているGrant Kirkhope氏は「バンジョーとカズーイの大冒険」や「キングダムズ オブ アマラー レコニング」「Civilization Beyond Earth」などを担当した有名な作曲家ですが、本作ドンキーコング64では作曲と同時に ドンキーコングの声 も担当しているそうです。オーバナーナー

ドンキーコングリターンズ

youtu.be

クレジット 人数
ENGINEERING DIRECTOR 1人
SENIOR ENGINEERING 4人
ENGINEERING 10人

ここから時代は一気に飛んで、いままでシリーズの開発を担当していたレア社マイクロソフト傘下となり、代わってレトロスタジオ社が開発したシリーズになります。

本作で シニア・エンジニア という肩書きが初めて出ました。 だいたいエンジニア2-3人に1人シニアが付いて、シニア4人を エンジニアリング・ディレクター がまとめる、という組織構造でしょうか。 全部で15人と、スーパーファミコン時代から比べるとずいぶん大きなチームになりました。

なおレトロスタジオ社はレア社とは逆に、エンジニアリングチームをスタッフロールの最後の方に配置しています。

ドンキーコングトロピカルフリーズ

youtu.be

会社 クレジット 人数
Retro Studios VICE PRESIDENT OF ENGINEERING & TECHNOLOGY 1人
Retro Studios LEAD ENGINEERING 1人
Retro Studios SENIOR ENGINEERING 2人
Retro Studios ENGINEERING 16人
Retro Studios CONTRACT ENGINEERING 2人
Monster Games ENGINEERING LEAD 1人
Monster Games ENGINEERING 5人

前作3Dリメイク(ドンキーコングリターンズ3D、モンスターゲームズ社が開発担当)したときからの縁でしょうか、レトロスタジオ社とモンスターゲームズ社が協力して開発しているようです。

リード・エンジニアシニア・エンジニア が登場し、立ち位置の違いがよく分かりません。 さらにモンスターゲームズ社には エンジニアリング・リード という役職もいます。微妙なニュアンスの違いがあるのでしょうか。

レトロスタジオ社の前作エンジニアリング・ディレクターが ヴァイス・プレジデント・オブ・エンジニアリング・アンド・テクノロジー(VP of E&T) という最高に格好良い感じの役職名になっていました。こういうのを待っていました。

VP of E&Tは、直訳すると「技術開発統括副社長」のような感じになってしまいCTO(最高技術責任者)との違いがよく分かりませんが、VP of E&TのCTOとの違いについては下記記事に説明がありました。

tech venture business » 役職の謎:CTO vs. VP of Engineering

以下引用:

CTOは企業の技術面におけるビジョナリーであり、スーパーギークであり、自社の運命を握る技術(場合によっては製品)のロードマップを描く人です。一方、VP of Engineeringは現実と鑑みてそのビジョンを実行に移すことを率いる部門のマネージャーで、ギークである必要は必ずしもありません。

VP of E&T、名前は格好良いのですが、CTOに比してあまりギークな感じではないようです。

結論

名前の格好良さとプログラマとしてのギーク度合いは比例しないようです。

映画「スティーブ・ジョブズ」2作を連続で観た

f:id:s2terminal:20160928033501p:plain:w204

スティーブ・ジョブズ」の名を関する伝記映画は2016年現在ふたつあるのですが、連続で観てみました。

なおスティーブ・ジョブズに関しての前提知識は10年くらい前の加藤浩次がっちりマンデーで観たぐらいしか無いのですが、大学を中退してATARIに就職してインドに行ったこと、Appleを一度退職してピクサーやNeXTを作ったこと、そして経営破綻寸前のAppleに復帰するタイミングでマイクロソフトが多額の出資をしたことぐらいは知っています。

ふたつの映画「スティーブ・ジョブズ

日本公開 2013年11月1日 2016年2月12日
邦題 スティーブ・ジョブズ スティーブ・ジョブズ
原題 Jobs Steve Jobs
監督 ジョシュア・マイケル・スターン ダニー・ボイル
主演 アシュトン・カッチャー マイケル・ファスベンダー

原題はかろうじて異なるのですが邦題が全く一緒なので非常に紛らわしいのです。。。

なお、観たのはいずれもAmazonビデオの字幕版です。

2013年版「スティーブ・ジョブズ

www.allcinema.net

https://www.amazon.co.jp/dp/B01FT49RR8

年代 劇中で描写される内容
2001 iPod発表会
1974 大学時代
1976 ATARI社時代、Apple社 創業
1977 AppleII発表会
1980 Apple社 上場
1982 Macintoshプロジェクトへ異動
1984 Macintosh発表、ウォズ退職
1993 スカリー退職、NeXT買収
1996 ジョブズApple復帰

映画としては、大まかにApple創業の70年台、LISAとMacintoshに携わった80年台、そしてAppleに戻ってくる90年台の3つに分けて、追っていく形です。

しかしAppleジョブズの来歴について前提知識が多いので、そのへん調べたことがある人じゃないと話についていけないと思います。 特に「Apple退職→ピクサー、NeXT→Apple復帰」の流れは一切語られずに、Macintosh不調でジョブズが退職しそうな状態からどうともハッキリしないまま話の流れをぶった切っていきなりジョブズAppleのCEOに誘われる展開になるので、背景を知らないと意味不明じゃないでしょうか。 時代を一気にすっ飛ばして、話の方向性もジョブズが不利な状態から180度逆になります。

映画の内容は、ジョブズApple退社するまでを軸に物語の大半を置いています。山場にジョブズ退職を持ってくるため、それまでジョブズの人間としての弱さ、負の側面、よりハッキリ言うと、劇中の言葉をそのまま使って「クズ(Asshole)」である所に、集中してフォーカスが当てられます。

そしてAppleに復帰した後の映画終盤は、Appleの最初の出資者でありジョブズの味方だったマイクを会社から追い出して終わり。え、そこで終わるの?って感じです。 この映画だけ見ると、ジョブズの何が偉大だったのかわからない。まるで、「クズ」であることがこの映画のテーマかのように見えてしまいます。 序盤iPodが一瞬だけ登場するだけ、iPhoneもMacbookAirもiPadも劇中には一切出てこないので、そんなジョブズの偉大さは知っている前提で、という話なんだと思います。 ジョブズは常人に理解し得ないタイプの人間である、ということは伝わってきます。

あと、序盤AppleIIを作っていたあたりの時代を丁寧に描いており、そのぶん後半ウォズニアックが退職するときの「あのときは良かった」という言葉に重みが出てきます。 この映画の最後は「Apple時価総額で1位になった」と締められますが、そんな大企業も創業時には人のために良いものを手で作って届けていた、そんな時代を回顧するのが目的の映画だったのかもしれません。

字幕版を見たんですが、英語はあんまり分からないけど、ガレージで創業したAppleに対してジョブズが自信と少しの自嘲を込めて「Welcome to Apple Computer」と言うところを、ただ「ようこそ」と訳していたり、翻訳もあまり良くない気がします。

2016年版「スティーブ・ジョブズ

http://stevejobsmovie.jp/stevejobsmovie.jp

https://www.amazon.co.jp/dp/B01FT49RR8

年代 劇中で描写される内容
1984 AppleMacintosh発表会
1988 NeXT社 キューブ発表会
1998 AppleiMac発表会

こちらの映画は、ジョブズが関わってきた3つの製品の発表会の直前が舞台になっており、その間の出来事は回想や会話の中で語られるのみという形式になります。 3つの時代間の補完はちゃんとしているのですがその前後は語られないため、クリスアンの妊娠の認知の件や、ウォズニアックがAppleで出した成果についてなど知らないと、物語に共感できないと思います。(幸い、それらは2013年版で直接的に描写されています) そうでなくても展開が早く、かつ回想シーンが多い関係で物語が時系列順に語られないため、頭を整理しながら観ないと理解が追いつきません。結局、前提知識があったほうが良いのは変わりません。

内容としては製品の発表会に的を絞っているだけあり、ジョブズが作ってきた製品やプレゼンへの強烈なこだわりが描写された作品になっています。

  • 直前のリハで、本番において20秒だけ使う「Hello」と喋るプログラムがエラーで動かなくなってしまった→「修正しろ。 じゃないと発表会は中止
  • 演出で照明を落とすとき非常灯も消したいが、消防法の関係で無理→「関係ない。罰金なら払うし、 観客が火災で死んでもあの世で満足するだろう
  • 発表直前に 、胸ポケットからフロッピーを取り出したいとひらめいた。午前8時、店は開いてない→「 会場の誰かとシャツを交換して手に入れて来い

このような無理難題を、次々とまわりのスタッフに押し付けていきます。 本当にこんなことを言っていたのかどうか謎なのですが、それぐらい彼の独特な感性と完璧主義が強調されている作品です。

これらを象徴するのが、ジョブズとウォズニアックがAppleIIを作っているときの回想シーンでのやり取り

ウォズニアック「コンピュータは芸術じゃない」
ジョブズ「くたばれ (原文は f*ck you )」

私は、ジョブズは最高の芸術家なのではないかと思っているのですが、この映画ではそれを上記のセリフでズバリ言い表しています。

ジョブズの天才的な一面と、人間としての弱みを対比する形を取っており、最後も一応きれいにまとまっております。 個人的には2016年版のほうが好みでしたが、それは事前に2013年版を観ていなければ楽しめなかったと思います。しかし2013年版もある程度の前提知識が必要...

まとめ

ふたつの映画を連続で観てみて、特に2013年版で描写が薄いジョブズの功績についてと、2016年版で描写が無いApple創業時の物語についてが互いに補完されており、噛み合っている印象を受けました。

ジョブズは芸術家だと思います。 歴史に名を残した芸術家の多くは人間性に問題を抱えていたようなエピソードを持っているのですが、ジョブズも同じようにコンピュータへの輝かしい功績の裏に負の一面を抱えており、ふたつの映画ではそれらを重点的に描写していました。

また、彼の天才的な感性や完璧主義などはマーケティングやエンジニアと噛み合わないことが多く、その異質さこそが彼の強みであり、普通の商売人や経営者とは一線を画する「芸術家」の名が最もふさわしいと私は思いました。 「一緒に仕事したいとは思わないけど、世界を変えた紛うことなき偉人」だと改めて思いました。

インドへの長旅やピクサー設立など、彼の芸術家としての側面が強く現れそうなエピソードについて、いずれの映画でも一切触れられていなかったのは残念です。 また2つとも90年代後半でエンディングを迎えており、iPodからiPhoneMacbook発売、スタンフォード大でのスピーチなど晩年の輝かしい功績や闘病生活についての描写も無かったため、90年代生まれのゆとり世代である私にとっては昔話のような印象を受けました。 ジョブズがどうしてこのような類まれな感性をもって世界を変えることができたのかの答えは、この映画の先にあると思いました。

おわりに

岩田聡の映画も作って欲しいです。